2.今日のオリーブ風景

 オリーブは、地中海沿岸やアフリカ北岸に自生し、かつてレバントと呼ばれた今日のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリアの地域で栽培が始まりました。人類が移動する歴史とともにオリーブの栽培地も広がってきました。海上交易のフェニキア人がギリシャの島々に、ローマ帝国の拡大とともに地中海沿岸や北アフリカの地域に、コロンブスのアメリカ大陸発見で北米そして南米の地に広がっていきました。アジアでもインド、パキスタン、アフガニスタン、中国、日本などに広がり、今や世界の各地で栽培されています。

 オリーブ栽培の歴史と伝統がある地中海沿岸の各地には、樹齢千年以上を超えるオリーブの木が多数あり、その生命力に魅かれて人々が訪れます。ギリシャのクレタ島には樹齢推定3千年の木があり、今日でも実がなっています。イスラエルのエルサレムのオリーブ山にあるゲッセマネの園にも樹齢千年以上のオリーブの木々が多数生い茂っています。ゲッセマネとはヘブライ語で「油絞り」という意味。遠い昔からオリーブが人々の生活とともにあり、それが今日も続いていることを実感させてくれます。

 アメリカでは1769年に欧州からオリーブが持ち込まれたと言われ、その後フランシスコ会の宣教師たちが、西海岸のカリフォルニアを北上するのに合わせてオリーブの木を植えていきました。1842年に南部の伝道所を訪れた宣教師は、「建てた伝道所は壊れていたが、オリーブの木々は立派に育っていた」と報告しています。今日アメリカは世界最大のオリーブオイルの輸入国ですが、同時にカリフォルニアは米国最大の栽培地となり、カリフォルニアオリーブオイル協会を作り、大学や医薬品会社での研究、栽培方法の改良、高品質オイルの生産、品質基準の策定などを積極的に進めています。

中国はイスラエルの支援でオリーブの本格的栽培を進めています。Chinese Forest Academy(中国森林局)から依頼をうけ、イスラエルのオリーブ庁が推薦する専門家が6年前から四川省、雲南省、甘粛省の現地を訪問し、本格的な栽培を指導しています。今やイスラエル、スペイン、イタリアの品種に加え中国で開発したオリーブ品種も栽培し、オリーブオイルの生産をしています。

 日本に最初にオリーブオイルが来たのは安土桃山時代、ポルトガルの宣教師によって持ち込まれました。江戸時代の医師林洞海は、長崎でオランダ医学を学び、幕府の奥医師で最高位の法眼になりました。叙せられた翌年文久2年(1862年)フランスからオリーブの苗木を輸入し神奈川県横須賀に植えたのが日本最初のオリーブの木と言われています。その後明治時代にもイタリア、フランスから苗木を輸入し、明治15年(1882年)には当時の農務省直轄の「神戸オリーブ園」で果実が収穫され、オリーブオイルが作られました。

 明治41年(1908年)に農務省が缶詰に使用するオリーブオイルの自給をめざし、三重、香川、鹿児島県を指定し、アメリカから輸入したオリーブ苗木の試験栽培を行いました。香川県の小豆島で継続的に栽培が行われ、岡山、広島県に栽培が広がりましたが、昭和34年(1959年)の輸入自由化で海外から安価なオリーブオイルが輸入されるようになり、国内栽培は急速に減少しました。

 1995年頃からオリーブオイルの輸入量が増え始め、日本の農業としてのオリーブの栽培地域も香川、岡山県から、ここ10年で九州各県に広がり、栽培面積は2012年には東京ドームの約50倍の250ヘクタールと2001年の5倍に広がりました。さらに栽培地域は、静岡、神奈川、千葉県など関東地方にも広がっています。柑橘類に代わる作物としての期待、地元の食材との組み合わせや収穫イベントなど6次産業を狙う、オリーブのある景観を観光資源したいなど栽培目的は農産物だけではありません。定年退職をして、オリーブ栽培に取り組んでいる人たちも多く、農業に戻り新たな作物として挑戦する人、世界一小さいオリーブ工場を目指す人、日本人にあう漬物を指向する人など様々です。

 北上するオリーブ栽培は、雪のある新潟県や群馬県まで広がっています。中でも宮城県の亘理町や石巻市では、小規模で試験栽培ですが、震災復興のシンボル樹として、栽培に取り組んでいます。イスラエルの企業と共同で栄養素を多く含む藻の生産をする会社は、震災復興を支援しようと石巻市牡鹿半島の海を臨む丘陵地に工場を設立、その記念に2013年イスラエル大使がオリーブを植樹し、翌年には小さいながら実をつけたということです。

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