1.オリーブオイルのはじまり

 オリーブはモクセイ科の常緑樹で、その学名をオレア・ユーロピア(Olea europea)といいます。最近の研究で、人類の歴史で最初のオリーブ栽培は今から8千年から6千年前に中東で始まったと言われています。地中海沿岸から集めた1,263の野生種と534の栽培種など1,900以上のサンプルの遺伝子を分析したフランス国立科学研究所の研究で「オリーブの栽培は、かつてレバントと呼ばれた地域、今日のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリアの地域で始まり、その後地中海沿岸を経て多くへ広まった」と分かってきました。

研究チームはまた遺伝子の系統を分析し、最初の地域では小さく苦い果実の木が多かったがそれがトルコとシリアの国境の地域を超えるあたりからは、オイルが多く実の大きな種類に取って変わっていることを発見しています。別な研究者は、風で飛んでいくオリーブの花粉のことも考察する必要を示唆し、オリーブの原点を探す研究は、いまだホットなテーマです。

コロンブスのアメリカ大陸発見に伴い、19世紀になるとオリーブの木は北米、南米の地に広がり、その後オーストラリアに、そして今は日本、中国など世界各地で栽培されています。今やその数、9億本のオリーブの木が栽培されていると推測されています。

オリーブの果実から絞るオリーブオイルの誕生も古く、考古学者はオリーブオイルをしぼったと思われる地面のくぼみ(ピット)をいくつも発掘しています。イスラエルのカーメルには約6千年前にオリーブオイルの製造を行っていた遺跡が発見されています。

 オリーブオイルは、他の食用オイルと異なり、その種ではなく果実の実から絞りだしたものです。種子の油は、オリーブ核油(olive kernel oil)といい、オリーブ油よりも品質が劣り区別されます。古代では果実を石などで潰し、それをひたすらもみ続け、オイルと果肉を分離させていたと思われ、その後石臼を使っていました。実際イスラエルでは、1950年ごろまではロバを使いオリーブの果実を石臼で粉砕していた記録があります。

聖書の時代からオリーブは神聖なもの、平和そして結束の象徴として存在してきました。よく知られているように聖書にはオリーブの記述が数多くあります。有名な「ノアの箱舟」では、ハトがオリーブの小枝をくわえ、春の太陽で冬の洪水が干上がったことを知らせ、これは「豊穣と繁栄の象徴」となりました。

さらに聖書には祝福する7つの作物があります。小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、なつめやし、そしてオリーブ(オリーブオイル)です。オリーブの実から作るオリーブオイルは、食用や料理に使われただけでなく、軟膏、灯り、神への捧げ物でもありました。実際エルサレムのソロモン王の神殿では王の聖別の儀式にオリーブオイルが使われていました。

 ギリシャ神話にもオリーブが登場します。エーゲ海を望む町の支配権を巡って女神アテナと海神のポセイドンが争ったとき、大神ゼウスの『最も人々の役に立つ贈り物を贈った者に支配権を認めよう』という言葉に、海神ポセイドンは、『馬は立ち姿は美しく、戦では良い働きをするので勝利を導き人々を幸せにする』と馬を生み出し、一方女神アテナは『オリーブは闇夜を照らす光となり、傷みを和らげ、香り高く、そして口にすれば貴重な食料になる』と言い、オリーブの木を作り出しました。ゼウスは平和をもたらすオリーブの木を選び、そしてアテナにエーゲ海を望む町アテネの支配権を与え、パルテノン神殿では女神アテナが守護神として祭られ、オリーブは「聖なる木」として各都市に広がりました。

古代からオリーブオイルは人々の主要な収入源の一つで、地中海沿岸で売買されていました。古代ローマ時代ではすでにオリーブオイルは一つの産業にまで成長しており、オリーブの木を切り倒した者には処刑という罰が課せられ、オリーブの木は人々によって手厚く守られていました。どのような状態の実から(色づき始めた実から、熟した実から、地面に落ちた実から、虫に食われた実から)取ったオリーブオイルかを区分し、オイルの格付けもされていた記録が残っています。

 

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